2017年4月3日月曜日

⑥命の使い方?

⑤その時、浮かんだイスラムのこと・・・。からの続き。
長らく書き込みができずにいました。体調が悪かったわけではないので大丈夫です。




初めての入院で思うこと。

僕の場合は、とにかくその時抱えていた仕事に穴をあけたくないが7割。

肝心の病気のことは1割で

あとの2割がイスラムのことでした。

(なんで、自分の家族のことが浮かばないんだ!とお叱りを受けそうですが)

病気のことが1割しかないのは病気の名前が大きすぎて

先生にお任せするしかないと言うことだったと思っていますが

問題は2割の”イスラム”のこと。


何故イスラムか? 

それは25年前までさかのぼります。

絵を描く道を進もうと思ったきっかが湾岸戦争でした。

それまでの僕にとって”中東”はあまりにも遠い場所だったと思います。

石油と砂漠のイメージでしかなかったところに起きた

生まれて初めてリアルタイムで突き刺さってきた”戦争”。

それも、あまり日常的には自分のことと何か関係があると

思っていない遠いイスラム教の国だったことが

より潜在意識のなかに入り込んできたのかもしれません。

そこで失ってゆく夢や命を想った時に自分が自分の夢や人生とどう向き合うかを

深く考えるきっかけになりました。


そして今回、自分が死ぬかもしれないと思った時に

浮かんできたのがイスラムの人達のこと。


いつも考えていたわけではないのです。

病気で倒れる前の年にベルギーで。

そのあとパリで自由な命が亡くなりました。

どちらも自分がスケッチをしながら回った街。

自由な空気を感じた場所。

優しくしてもらった人たちがいた場所。


そんな場所で起きたテロが続いたあと、

病気を通してリアルに”死”を自分の中に意識した時

じぶんの命を犠牲にした命の使い方ってあるのだろうかと・・・。

何かの思いを遂げるために命をつかう?

同時に他人の命も奪う?

それはどういうことか?

その先にあるものが何なのか?

そんな疑問がぐるぐる、ぐるぐる

自分の中の死と交錯しながら頭の中を回っていました。