2016年3月1日火曜日

③生きている証?

『②救急搬送』からのつづき。


話は大きな病院に救急搬送された直後に戻ります。
病院の処置室に入れられ、また採血され、その後の検査(CTなど)や入院の書類にサインが必要なのですが意識はあっても動けないので口頭で説明をうけてサインは妻がしてくれました。すぐに入院が決まって一番気になったのが仕事のこと。抱えていた仕事の絵がまだ全然描けていなかったのです。病室で絵が描けますか?と看護師さんに聞くと、『描きましょう、描きましよう、病室以外にも自由に使える部屋があります』と言う返事にとても安心したのを覚えています。結果的に絵が描けるだけの体力と気力が戻ったのは退院2日前くらいでした。それでもその時の看護師さんの対応に感謝しています。その時の自分にとっては本当に絵が描ける状況なのかどうかより、”描こうと思えば病院の中でも描ける”という気持ちの支えを貰ったことのほうが大きかったのですから・・・。

看護師さんから、そのあと受ける検査の説明が終わったのはちょうどお昼前。入院も決まって後のことは病院に任せるしかない状況になったことへの安心感?からなのか・・・それとも本能的に何か食べないといけないと思ったのか・・・動くことも出来ず何も食べれずに救急搬送されて来た直後なのに、看護師さんに『昼からは検査が続くので何か食べておきますか?』と聞かれ『ハイ食べます』と即答していました。
妻に病院の売店でサンドイッチを買ってきてもらって処置室のベットの上で3口は食べたでしょうか、たぶん自分は白血病で・・・もしかしたら危険な状態なのかもしれないと思いながらもその3口が”生”への執着の証のようなものだったのかもしれません。
そんなぎりぎりの状況でしたが、可笑しなことがありました。妻が飲み物も一緒に買ってきてくれたのですが、それがシークヮーサーのジュースでした。元気な時でも選んだことのないセレクトに妻の動揺があらわれていたのだと思いますが、思わず『なんでシークヮーサー?』と突っ込んだ記憶があります。でも悲壮感いっぱいの中、ふと笑えた瞬間でもありました。
つづく。